視 点

株式会社ニデック コート事業部 コート営業部 蜂須賀 政 幸

(筆者後列右から4番目)

 2005年7月に光交流会へ入会し丸3年が経過しました。毎月開催されるオプトフォーラムは夕方から開催され、懇親会が終了するのが20時過ぎ。急ぎ足(千鳥足?)で東京駅に向かい最終電車に間に合わせるべく、21時30分発ひかり431号に乗車、愛知県岡崎市の自宅に帰宅すると既に日付が切り替わっている。会社へは何時も6時前に自宅を出るので、光交流会の翌日は寝不足で仕事への集中が途切れることが多々有ります。オプトフォーラムが金曜日に開催されたらこんなキツイ思いをしなくてすむのにと何時も思います。3年間でオプトフォーラムに出席したのが26回、実に72%の出席率です。結構出席率低いねと思われる方がお見えになるかもしれませんが、社内の会議などに重なる事も有りますし、オプトフォーラムに併せて当日東京で仕事を作らないと愛知県の距離ではなかなか出張できないのです。よく3年間これだけ出席できたなあと思っていますが、その原動力は懇親会に有ります。普段なかなか話をする機会に恵まれない会社の社長さん、幹部の方々、高名な先生や同業者の方々とフランクに会話の出来る懇親会は、どれだけ辛くても出席する価値が有ります。
 そんな私が今年幹事を引き受けることになりました。今まではお膳立ていただいた場所に出席しているだけで済んでいましたが、裏方のお手伝いを通じて今まで気づかなかった光交流会の新たな価値を見つけたいと思ってます。ただ、距離的な問題は抱えたままですので、他の幹事の皆様にご迷惑をお掛けするのではないかということを心配しています。今年新設された企画部にて、会員企業の皆様に光交流会をもっと有意義に活用いただけるよう無い知恵を絞って頑張りたいと思いますので、皆様もご協力お願いします。 (筆者後列右から4番目)

光交流会 代表幹事 関  英夫

 光交流会も本年度で20年目を迎えます。すでにオプトフォーラムも215回を超え、会員数も80社近くになっています。会員外の方に光交流会が発足以来20年目を迎えたことをお話しすると「よく20年も続きましたね」と一様に驚かれます。我々にとってはただ一回、一回のオプトフォーラムを大事に開催してきたことだけなのですがね。私も昨年1月より3回目の代表幹事を仰せつかっています。最初は光交流会の創設時、2回目は約10年前、そして今回、くしくも20年目とそれぞれの節目に大切な役を仰せ使っています。光栄なことです。この機会にもう一度、光交流会に付いて考えてみたいと思います。
 続いてきた理由でもあるのですがこの光交流会は情報交換の場として発足しました。また会員相互の「知恵の環」を広げることを目的としています。知恵の環とはそれぞれ自分の分野に付いて深い見識を持つ方々が大勢おり、横つながりで光学機器・部品の製造に関する大きな知恵袋になっているからです。特に技術者だけの集まりと違い、もの作りに長けた人たちの知識の集団であるからです。光に関するどんな難問が来ても必ず解決の糸口が見つかる、そんな会です。私も多くの会員に助けられ自分の事業を広げてきました。恐らく皆さんも同じではないでしょうか。まだその恩恵に預かっていない方は、ちょっと出席率が低いのではないかと思われます。非常にもったいないことです。今、オプトフォーラムでは隣の席の方と3分間トークの時間を設けています。もちろん、同じ会社など親しい方は隣には座りません。
 この3分間トークで一回の参加で一人ずつ知り合いが増えれば年に12人、20年で240人の専門性を持った方と知り合えます。こんなもったいない機会を逃している方はいませんか。ぜひ、オプトフォーラムに参加しえて知恵の輪を広げましょう。見学会やタイムリーな講演も実施しています。参加を心よりお待ちいたします。

興栄化学株式会社 代表取締役 朝倉 耕治

 A社のYさんに光交流会を紹介して頂いて2年が過ぎていた。その間に、青年部会が結成され、青年部の部長となった。前幹事長のFさんは、「何でもいいから、好きなようにやってくれればいいんだよ。」と言い残して、去年休会された。Fさんを引き継いだS幹事長に「青年部は何をする部なのですか」と尋ねると、「色々な見方があるんじゃないかな」と返答された。そこで、「青年部は、幹事会の指示下ですか、それとも独立した組織ですか」と尋ねてみた。S氏は、あまり迷うことなく「それも色々な見方があるんじゃないのかな。むしろその辺を探ってみる事に意味があるんじゃないのかな。とにかく何か新しい試みが出るといいですね。」と、ほんの少し間を置いて、「僕にもよく分からないのですよ。」と言った。
 全く新しい試みなので考えてもしょうがないから分からないと言ったのか、それとも全く新しい試みなので表現方法が分からないと言ったのか。私にはよく分からなかったので、他の幹事にも同じ質問をしてみることにした。すると、確かに人それぞれ色々な意見が出てきた。私は一人一人色々な意見を持っているみたいだよ。」と、私の伝え方が悪かったのか、部員には概ね「幹事会には統一した意見がない。」と伝わったらしい。何故か、幹事一人一人が熱心に青年部会の事を考えている、期待している、からこそ、それぞれの幹事自身の考えや思いが入ってくる、みんな無関心ではないのだよ、という思いが伝わらない。
 そんなことを見越して、S氏は、「むしろそこの辺を探ってみる事に意味があるんじゃないのかな。」と言っていたのではないか。ああ、S幹事長よ、「私は青年部会部長失格なのではないですか。」。そんな質問をしたくなる私に対し、「むしろそこの辺を探ってみる事に意味がある。

高木電線株式会社 取締役社長 高木 貢一

 「視点」欄に駄文を供することとなり、あらためて「視点」なるものを考えていたところ、以前に刺激を受けた出来事を思い出しました。数学といえばその論理的構成の厳密性が際立った特徴であると言っていいでしょう。しかし10年以上前のアメリカでのこと、「視点」の違いにより多くの数学者が錯覚に陥ってしてしまったというドタバタがあったのです。ことは確率に関して。当時テレビの視聴者参加番組でこういうのがありました。スタジオに三つのドアが設けられている。その中のひとつには車が納められており、残りの二つにはなんとヤギが鎮座しているのです。参加者が指名したドアに幸運にも車が入っていたらたちまちにしてマイカーのオーナーに、それ以外はただただ困惑するだけのヤギのオーナー、という貧富の差甚大、天国に非ざればすなわち地獄、といった番組でした。

 ところで、ドアを指名して単に開けた場合、車が当たる確立は1/3、これはやさしすぎます。そうではなく次のような手順でドアを指名するのでした。まず司会者には前もって本日の当たりドアを知らせておきます。そこで司会者は、最初に指名しときに残された2つのドアのうち、カラッポのドアをひとつ開けてしまいます。するとドアが二つ残りますね。参加者により最初に指名されたドア、司会者により残されたドア。ここで再度参加者は2つのうちどちらかひとつを指名することになります。さて、問題はここです。この二回目の指名にあたり、どちらのドアが当たる確率が高いのか?皆さんはどう思われるでしょうか。多くの数学者はこう考えました。二つのうちひとつを当てるのだからそんなものはどっちでも同じだわい、確率は1/2だわい、と。今もしこの番組をよく知らない人が最後の指名の段階で初めてテレビのスイッチを入れたとします。その人の「視点」からすればまさに確率は1/2です。これはこれで正しい。あたかも抽象化癖のついた数学者が残されたドアの経緯を無視してしまったようなものです。

 しかしながら参加者の「視点」から見たらどうでしょうか。最初に指名したとき残された2つのドアに車がある確率は2/3です。そしてご丁寧にも当たりドアを知っている司会者によりカラッポのドアは開かれてしまっているのです。したがって司会者により残されたドアが当たる確立は相変わらず2/3。これが参加者の「視点」から見た正しい確率です。つまり参加者は二回目の指名では最初の指名に反した方が確率がいいのです。いま問題になっているのは参加者の「視点」なのですからこれこそが正しい!ある数学者は悔しさのあまりコンピューターシュミレーションで追試行を行ったそうです。厳密と思われている数学の世界でも「視点」の違いによりこのような結果を引き起こすこともあるのです。私たちは日ごろ様々な「視点」に立って、感情、意思、意見、思想をもとに行動しています。でも、それが必ずしも絶対的なものではないことの自覚は必要です。

 編集部より写真を掲載するようにとの仰せ、しからば写真盛り沢山の拙サイトをご覧じろ、と切り返すこととします。以下のサイトよりどうぞ。
      http://www5.ocn.ne.jp/~ktakagi/

三葉光機製作所 代表取締役 荒川 健一

 最近よく「どんな仕事をしているのですか」と内容を聞かれることが多くなりました。
 昔は顕微鏡・望遠鏡・カメラ等と具体的に説明できる製品が多かったのですが、今は形に見えない仕事が殆どで「図面から製品への産婆役とか製造と販売の間の通訳」ですと答えています。バブルがはじけ価格と性能が対比されるようになると製造コストの切り下げのために部品の共通化が必要になりましたが、材質・強度・形状・機能・価格(製造or購入)を考慮して場合によっては共通の新しい部品に切り替えることになります。ここで光学産業で30年余り生きてきた経験と人脈が出番となる訳です。経験は時系列ですので誰でもできますが、人脈を作ることは大変です。しかし、簡単に作る方法があります。それは光交流会を使う方法です。毎月の定例会・講演・見学会の後で必ず懇親会が開かれていますので、参加することです。参加してしまえば毎回2〜3人と知り合うだけで年間20人位の光産業のスペシャリストの人脈のネットができます。
 ここで注意しなければならないことは、Give → Take で、Take → Give ではないのです。どんな小さな人脈でも人によっては解決の糸口になることもありますので、まず出すことにより相手に認識してもらうことです。懇親会では片手に飲み物を持っていますので緊張したらいつでも口を癒せます。光交流会では幹事全員が皆さんに異業種交流会の良さを体験していただきたいと努力しています。肩書きでなく個人同士の交流は懇親会です。今年は定例会場で準備ができしだいすぐに懇親会が開かれます。ぜひご参加ください。お待ちしています。

日昭無線(株) ニューメディア営業部長 中原 弘之

 最近、どうも漢字の書き方を忘れてしまったような気がして仕方がありません。
 読むことはできるのですが、書くとなると「あれ、どんな字だっったけ?」と考えてしまいます。自分の記憶力の悪さを棚に上げさせていただくのならば、原因の一つとしては、ワープロを使って文章を書くことにあると思います。ワープロはパソコンの普及と共に、現代のオフィスには無くてはならない(?)ツールとしての確固たる地位を築いていると言っても過言ではないと思います。実を言うと私自身、パソコンを使いだした理由は、楽をしたい一心からでした。当時は電子部品の営業部門にいたのですが、その頃は台帳も現品票を作るのも全て手作業でした。残業が続き、「これはたまらん」ということになったのです。PC9801は高嶺の花でしたので、富士通の8ビットマシンを買いました。買っただけなのに、もうこれで楽ができると大喜びしていたのですから、全くどうしようもありません。
 結局、その仕事自体は非常に楽になったのですが、楽になった途端に仕事がどんどんやってきて、以前にも増して忙しくなってしまいました。結局、喜んだのは上司や社長だけだったでしょうか。

 コンピュータなどというものは人間の役に立てば良いわけで、人間がコンピュータに使われてしまうような気持ちになったら面白いものではありません。
 さて、光交流会でもインターネットを通じ、幅広く社会にアピールを行っています。今後、会員の皆様方のご参加で大いに盛り上げて行きたいと思っています。
 ご興味のある方は、定例会の二次会の時にでもお声をかけて下さればと思います。
   連絡先メール:nakahara@nmk.co.jp

(株)オプトロンサイエンス 代表取締役 田中 康夫

 三菱電線時代を含めて、光ファイバ等、光に関する仕事に携わって足掛け15年になりますが、今でも光のことはよく分からず、判った振りをしています。50歳になったとき、「ちょうど潮時だ。ファイバがらみで何とか食っていけるだろ」と三菱電線を退職したのが1990年のことでした。退職金をはたいて会社を作ってみたものの、光ファイバでは全く食えず、「鍋の行商」などもしましたが、3ケ月程で止めてしまいました。その内、かねてよりワーク中の日立向けバーコードリーダの採用に目処が立ち、当初は「認定不合格」になるやら、「やりたくない」と言われるやら散々でしたが、足掛け2年に渡る関係者の努力により、メーカーのオプトエレクトロニクスが晴れて日立の「認定工場」の指定を取得、努力が報われました。

 諦めず、真面目にもう一踏ん張りの繰り返しが大事です。お蔭様で、ようやく日立関連を纏めて担当させていただくまでに推移し、経営の柱になりつつあります。サラリーマン時代は元より、若いときから「何につけても自分の力でやってきた」と思っていたのですが、間違っていました。全く恥ずかしい限りです。周りで支えてくれる家族をはじめ、社員、友人、お客様等の支援がなければ一日足りとも生活できないこと、ようやく開眼しました。

 「ひととひととひとむすびひとのためならず」多くの人に新しい友人を紹介したいと思います。目下、碁の勉強中で、まずは初段が目標です。

有限会社 トップ企画 代表取締役 野村 ひな子

 「お陰様で」の感謝の心を、朝目覚めてから一日が終わるまでに常に持ち続けていられるだろうか.そんなことを考えたのは、実兄の告別式の時でした。最後の別れの時、義姉は『今までの幸せをありがとう。来世も一緒に過ごしたい」と柩に縋り、兄に語りかけました。その言葉を聞き私は、何と優しい義姉なのだと、深い感動を覚えました。私の目からは、兄夫婦の生活は決して幸せとは言えない生活だった、と思っていました。

 ここ数年は障害者となり、義姉は介護の日々で、結婚生活の2/3は兄の病気で経済的にも大変な毎日であったろうと思います。その後、一周忌の折『お元気ですか』の親類の問いに、義姉は、『今までは夫婦であり、友達でもあったので、話し相手に困らなかったけど、今は話し相手もおらず、写真に話しかけている毎日よ。そろそろ友達を作らなくては。』と話していました。友達を必要としない程、夫婦仲がよかったのだと思い、兄は素晴らしい伴侶に恵まれた幸せな生涯だったのだと、うれしく思い、義姉に心から『ありがとう』が言えました。何もなくても幸せ、『幸せ』のお手本みたいなものを見、考えさせられました。

  • 健康は最上の利益
  • 満足は最上の財産
  • 信頼は最上の縁者
 心のやすらぎこそ最上の幸せなり と経典には書かれています。
 子供を育て上げ、中年になり初めた頃、『技術を身につけたい』から始まったこの仕事も早20年近くになります。仕事を覚え始めた頃は、プリント基板はパターン(信号線)を手作業で作っていた時代でした。今では、CADで出来る時代に変わり、業界は目まぐるしく変化し、我社に於ては、若い人の力無くしては今はありません。現在の私は、この年で若い人達と共に仕事が出来る毎日を、とても幸せに感じています。そして、光交流会に入会させていただいてからは、知らなかった光の世界へと視野が広がり、大勢の方々と知り合う事で、様々な視点から物事を見、聞き、考える事の楽しさを発見することができました。微力な私を仲間に迎え入れて頂いた今、町の片隅から都会に向けての飛躍、に喜びを感じます。小さな事でも幸せを感じ、その幸せを他の人達と分かち合える私に成らなくては。そして常に感謝の心を持ち続け『笑顔で振り返る事のできる人生を』と『幸せのお手本』は私に教えてくれました。

株式会社 ジャパンセル 代表取締役社長 深澤 一

 「視点」とは、広辞苑によれば「視線の注がれるところ」「ものを見る立場・観点」と書かれている。前者は視線の注がれる部分・場所の事をいい、後者はものを見る側からの観点の事をいっており、2つの相反する意味をもっている。最近、日本を取り巻く環境が著しく変わりつつある。経済面においては、バブルが崩壊して以来かつては想像もしていなかった「銀行の破綻」「保険会社の破綻」、そして金融ビッグバンから端を発した金融再生の為の大手都市銀行の業務提携や大企業の「大リストラ」等、まさに日本全体が長い間蓄積してきたストレス(歪み)を、まるでアニールの悪いガラスが何かのショックで割れるように、一気に解消しようとしているように思える。しかも、それを今世紀中に処理してしまおうとしているのか、2000年を目前にして日本中がもがき苦しんでいて、まさに「日本の大リストラ」の様相を呈している。

 しかし、悪い事ばかりではない。このような状況下で、行政や金融機関の「中小企業」への「視点」が変わってきた。両者共に、大企業重視の観点から中小企業重視へと、いろんな意味で我々に視線が注がれるようになってきた事は非常に良い事である。
「光交流会」の大部分の企業は中小企業であり、会員各社これを機に今まで蓄積してきた努力と技術を生かし、行政などの恩恵を少しだけ受け、これからの時代21世紀に向けて、大いに発展して行きたいと考えています。
ともあれ我々は、より多くの人々に満足感を与え、環境にやさしく、家庭にやさしい企業を目指したいものである。目先の事にあまりとらわれず、一歩一歩着実に確実に前進すれは利益は後から付いてくるものだと思う。

株式会社 ルケオ 吉村 泰信

 初対面の方からどんなお仕事を、と尋ねられると「コウガクです…光の方の光学です」と答える。「ああそうですか。光学のどのような…」と重ねてこられると、「偏光板を作っております」と答える。すると何人かの方は「ああ、あのブラウン管の…」と、偏向コイルのことを差して納得される方がある。最近では液晶ディスプレィーに用いられていることから、少しは知られるようになったが、「偏光板って?」と問い返される。

 私は光学用偏光板の製造を始めて34年になります。それまでの私はレンズ研磨に憧れを抱いておりましたが、そんなころに双眼鏡・望遠鏡両工業会主催の光学知識の長期セミナーを聴講する機会を得ました。講師の杉本清蔵先生は最終の講義に「これからの光学」と題して、レーザーと多層膜と偏光板が将来性のある分野であると話されたのす。私はこのときのお話に興味を覚えて後日に先生をお尋ねし、先般のお話の内どれか一つをやってみたいのですが自分にできるかどうかと伺ってみました。先生はそれなら偏光板はどうかと、資料を紹介してくださいました。また運良く偏光膜研究所の坂東一雄氏には製法について、丁寧なアドバイスを受けることもできました。杉本先生も坂東氏も当時すでに70歳を越えておられご指導を受けた時間は短く、どうにか事業形態が整った頃すでに二人の大恩人はこの世を去られました。そして私にとって、もう一人忘れていけないのは、当社創業者で現相談役の吉村正義です。私の叔父ですが、私の仕事にとって一番の理解者であり、いつの時も自由に仕事をさせてくれました。偏光板造り4年、自分は恵まれていると今しみじみ有難く思います。